2007年03月13日

昭和天皇、戦時の“肉声”―小倉庫次・元侍従の日記発見  歴史的資料について考える

18520_c160.jpg太平洋戦争前の1939年から45年の敗戦までの昭和天皇の肉声がつづられた当時の侍従の故小倉庫次・元東京都立大法経学部長の日記が、関係先から見つかり、10日発売の「文芸春秋」4月号に掲載されるとのこと。
半藤一利の談話「戦時下の昭和天皇の肉声や言葉はこれまでいくつか出ているが、これほどまとまった形で出るのは貴重。戦争や軍部への言葉のほか、父親、夫として皇族の人たちを思いやる言葉も出ており、非常に珍しい。戦時下の天皇の考えを理解するための新しい資料といえる。」(中日新聞より)



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2007年01月21日

社民党の歴史認識は12年まえのことを忘れるらしい!!

a79ef6c4.jpg2007/1/19 カエルニュース第253号

★☆ 国民保護は地方自治から ☆★
  
 毎年、藤沢市・寒川町の消防出初め式に呼んでいただいており、今年はご挨拶もさせていただいた。

(中略) 

 安倍晋三政権になってから「国を愛する」・国防の強化などの言葉が氾濫し、あたかも外敵から国民を守るために国家の力=軍隊が必要であるかのように宣伝されるが、実は「軍隊は国民を守らない」という事実は戦争を通して如実に示されてきた。軍隊はもちろんのこと警察も、戦闘のためあるいは犯罪に対しての対処を第一とするため、国民保護は二の次、三の次となる。
 阪神大震災は12年目を迎えたが、国民を災害から守ることを任務とされているはずの自衛隊が、国による命令を受けて救援に向ったのは、数日を経て後のことであった。日本の場合、自衛隊は軍隊ではないし、国土保安隊として出発し、防災のたねにも働くことを任務としてきた特別な生い立ちがあるのに、である。

衆議院議員 阿部智子のホームページより)
 


何が何でも安倍批判のために消防隊と自衛隊を絡ませて、自衛隊=軍隊=悪
と言う論理展開をしようとしたのだが、12年まえの阪神大震災の件を持ち出したのはまさに

「今日のお前が言うな!!」

である。


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2006年12月13日

南京陥落当時の貴重な映像

南京陥落当時の貴重な映像 1/6


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2006年11月29日

日本国の政治家・官僚は黒田如水の如くあれ!

11881_c350.jpg
カイロ宣言(1943・11・27)

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2006年10月28日

外交官に正しい歴史認識を!

外交力強化に関する外務所の平成19年度の予算要求で大使館の新設、総領事館の新設、定員増がありますが、数より質の強化が必要ではないかと思います。

田原総一郎と田中均の対談本「国家と外交」にてこのようなやり取りがあります。

「国家と外交」第1章 北朝鮮との交渉と拉致問題
(P36より引用)

田中「ただ辛かったのは、彼らにしてみれば日本を攻める道具というのはいっぱい持っているわけです。」

田原「日本を攻める道具って、例えば何ですか。」

田中「植民地支配したときに何人が犠牲になったとか、何人も強制連行されて、その結果、多くの人が帰ってこなかったじゃないか、とかね。そして、そういう日本とはまだ国交が正常化されていない。つまり、彼らにしてみれば、植民地解放闘争を戦った状況が、いまに至るまで続いているというわけです。
だから彼らにしてみれば、植民地支配に対する謝罪や補償がないのに、日本はなぜ要求をするのかという理屈になるわけです。」

田原「謝罪と補償を求めてくるわけね。」

田中「でも、われわれはちょっと待てと。拉致というのはいま現在起こっていることで、いま生きている人たちに起きていることだ。一刻も早くその状況を解消するというのは、人道的に見ても当然のことじゃないか、と。そういう交渉を延々とやるわけです。

田原「かつての植民地時代に受けたダメージといま起きている拉致を、北朝鮮は一緒にするわけだ。」

田中「彼らの論理からすればそういう交渉をするでしょう。ただわれわれはちょっと待て、違うと植民地支配の問題についてはきちんと清算はする。だけれども、いまある問題について解決しない限り、そこまで行きつかないよ、という交渉をするわけです。


この二人のやり取りを素直に見ると両者とも朝日新聞をはじめとする自虐史観が下敷きとなっている印象を受けます。

もし、この対談相手が渡部昇一さんであれば、
田中均の「植民地支配したときに何人が犠牲になったとか、何人も強制連行されて、その結果、多くの人が帰ってこなかったじゃないか、」
「彼らにしてみれば、植民地解放闘争を戦った状況が、いまに至るまで続いている」の発言に対して「謝罪と補償を求めてくるわけね。」なんて軽くスルーはしません。

本来「ちょっと待て」と突っ込むのは過去と現在の問題の前に、
・植民地支配したときの犠牲者とは何を指すのか?
・現在の在日の中で「強制連行」の正確な割合および人数の問題
・植民地解放闘争なるものがいつ、どこであったのかまたその内容は何か
ではないかと思います。

こんな問題は正しい歴史認識があれば「ただ辛かったのは、彼らにしてみれば日本を攻める道具というのはいっぱい持っているわけです。」なんてコメントは出てくるはずがないのです。

一事が万事という言葉がありますが、このような外交交渉を特亜三国に対してこれまでもしてきたのでしょう。
これでは、日本の国益を守る外交というのはなかなかできません。

大使館数や外交官の数ではなくまず質を上げなければならないと思います。

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2006年10月17日

ラストエンペラーの真実

中国】【今日は何の日?】1967年:清朝最後の皇帝、溥儀が死去

20061017-00000000-scn-cn-thum-000.jpg

1967年10月17日、清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)が病気のため亡くなった。 <サーチナ&CNSPHOTO>
 


 溥儀は1906年に光緒帝の弟の醇親王の子として生まれた。1908年11月に光緒帝と西太后が相次いで死去すると、2歳で清朝第12代の皇帝となった。年号を「宣統」としたので、「宣統帝」と呼ばれることが多い。

 しかし清朝は1911年に勃発した辛亥革命を抑えることができず、溥儀は1912年1月に退位。清朝は滅亡した。

 退位に当たっては「尊号は変えず諸外国の君主待遇を与え、当面紫禁城(皇宮)に居住する」という合意があった。紫禁城は皇帝が政務と儀式を取り行う「外朝」と皇帝の生活の場である「内廷」に分けられるが、溥儀とその一族は内廷での居住を許された。

 しかし溥儀は皇位復活の機会を待ち続けていた。1917年に北洋軍の将軍だった張勲が清朝の復活を宣言。溥儀は再び皇位に就いたが、清朝復活に反対する勢力が多く、清朝復活は挫折。溥儀は10日余りで再び退位した。

 1924年、溥儀は紫禁城を追われることになった。その後、天津市内に住んでいた溥儀に目をつけたのが日本の関東軍だ。関東軍は中国からの満洲切り離しを画策。そのために、軍事的に制圧した後に「独立」させようという計画だった。

 満洲は愛新覚羅家にとって父祖の地だ。溥儀に君臨させれば、「旧来の領地を取り戻したまでだ」というロジックが成り立つ。その後は傀儡としてコントロールすればよい。一方、溥儀にとっては、支配者の地位を再び獲得すれば、「末代皇帝(ラスト・エンペラー)」という汚名に甘んじずにすむ。ここに、日本側と溥儀の思惑が一致した。

 関東軍が行動を開始したのが1931年9月18日。自作自演の鉄道爆破を中国側のテロだとして、満洲全体の制圧に乗り出した。一方、特務機関は11月10日に溥儀を天津から脱出させた。

 溥儀は1932年3月1日の満洲国成立と同時に執政に就任。1934年3月1日には皇帝となる。しかし1945年、日本の敗戦に伴い日本に逃亡しようとしたがソ連軍に捕らえられ東京裁判に出廷した。

 1950年、戦犯として中国に身柄を引き渡され撫順収容所に収容されたが、1959年に特赦により出所。その後は一市民として過ごした。1964年には政治協商会議全国委員に選出されている。写真は李淑賢夫人と共に1960年代に撮影されたもの。(編集担当:梅本可奈子・如月隼人)


(サーチナ・中国情報局) - 10月17日6時0分更新



R・F・ジョンストンは「ラストエンペラー」宣統帝 溥儀 の家庭教師として彼の一番身近にいた人物です。彼の著作で「紫禁城の黄昏」があります。(原著は戦前にイギリスで出版されているものです。)
これの完訳版が下記の2冊です。
これ以前に日本では岩波書店から出版されていたそうなのですが「意図的に」内容が省略されているそうです。

この完訳版「紫禁城の黄昏」には「その後、天津市内に住んでいた溥儀に目をつけたのが日本の関東軍だ。」というのが間違いであることが分かります。
彼自身の意思で天津の日本領事館に助けを求めているのです。

戦後の歴史認識がいかに「中共」「ソ連」よりであったことが、ますます認識されます。





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2006年10月16日

極秘靖国参拝の準備・練習か?

新聞には「首相動静」なんて分刻みの首相の行動が記されているので、番記者ってパパラッチやストーカーのごとく、日々総理について回るものかと思っていましたが、公表された日程にもとズいて取材していたんですね。

記者団、安倍首相を見失う!?日程外の眼科検診で
 安倍晋三首相が16日午後、官邸近くの眼科クリニックで診察を受けた。首相は同夜、「たいした問題ではなかったが、かゆみがあったので用心して診てもらった」と述べた。
 首相の受診は公表された日程に入っていなかった。見失った記者団が慌てて問い合わせたところ、首相周辺は「眼科検診だということにしておいて」と説明。このため記者団から体調不良を懸念する声も出たが、約15分後、首相は普段と変わらない表情で官邸に戻った。塩崎恭久官房長官も「連絡は受けていないが、誰でも目医者さんぐらい行くだろう」と会見で述べた。
(iza)


安倍首相は「靖国には行ったか行かないかは言うつもりはない!」といっていましたが、「首相になってそんなことできるのかな?」と思っていましたが、この記事を見ると「できるのかな?」と思ってしまいます。

靖国について言えば小泉首相が8月15日に参拝したことをもって、ひとつの区切りを迎えたような気がします。8月15日の小泉さんの参拝について賛成を示したのは「中国の言いなりになんかなるもんか!」という小泉さんの態度です。歴史観について言えば小泉さんは国会答弁できっぱりと「A級戦犯は犯罪人である。」と明言しています。
安倍さんは「A級戦犯は犯罪人ではない」との歴史観を持ち、靖国に参拝することが肝要だと思います。
時期は8月15日ではなく、例大祭に行くのがスジでしょう。

渡部昇一さんはサンフランシスコ講和条約を結び独立した4月28日に英霊に対し感謝を込めて参拝すべきとの見解ですが、半分賛成で半分反対です。
たしかに独立を回復した日は重要ですが、それでは沖縄の本土復帰はどうなのか、北方領土(樺太も含みます)問題はどうなのかと思ってしまうからです。
大田實・海軍少将(日本海軍沖縄方面根拠地隊司令官)の「沖縄県民斯く戦えり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを。」の電報や、池田末男中佐(戦死)率いる第11戦車連隊(通称『士魂部隊』)の占守攻防戦などにみられる北方における終戦後の対ソ戦闘が一般の国民に広く知れ渡らなければならないのではないかと思います。
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2006年10月15日

戦前の日本を「極悪非道」とするものには疑いをもって接するしかない!

戦前の日本を極悪非道とするエピソードとして
・南京大虐殺
・朝鮮併合
・731部隊
などがあります。
「南京大虐殺」や「朝鮮併合」については私の愛読する渡部昇一さんをはじめとする各書籍で真実が語られています。
しかし、「731部隊」については私の不勉強もあるのですが、真実を語る書籍にめぐり合うことはありませんでした。

私がよく訪れるブログのひとつで「博士の独り言」がありますが、そこで「731部隊」についての記載がありました。
以下引用させていただきます。


ブログパーツ博士の独り言」より抜粋
小説家・森村誠一の『悪魔の飽食』(あくまのほうしょく)から騒がれ始めた「石井731部隊」。その内容は、旧満州国で石井四郎陸軍軍医(医学博士)を中心とする731部隊が行っていたとする人体実験の様子を詳しく描いており、巷で話題を呼び、その話を題材にした劇が制作され、それをもとに中国でも映画化された。

 この本に掲載された写真の大半は、石井部隊とは無関係な写真を無理やり関連付けたものであることが各方面からの指摘で発覚。写真の説明にも、医学的な根拠と整合性に欠けた記述で占められ、その後、森村氏は修正版(“続刊”)を出版。

 しかし、“石井731部隊の元隊員”であったとする人物から提供されたとする写真を、新発見とうたって“続刊”に掲載したところ、そのほとんどが偽造写真であることが判明。この問題により光文社版は続刊を含むすべての版の回収を余儀なくされ、これも絶版となった。その後、問題写真を削除した上で、角川書店より新たに出版した。

 その新版の内容についても、「ノン・フィクション」と呼ぶには真実性に著しく欠け、森村氏得意の「フィクション」の域を出ていない。なぜならば、

第1に、内容に登場する人物はすべて匿名であり、

第2に、森村氏が引用する登場人物の“証言”が版を追うごとに異なっている。

第3に、事の真相に関し、「石井731部隊に関する資料を米国が回収し、公開していないため検証不能」とする弁明には状況的な無理がある。(旧満州国の検閲を実施した当事者は米国ではなく、旧ソ連であり中国であった)。

第4に、戦後に関係者から証言を引き出したとするハバロフスク裁判自体が、法学者によってその存在を否定されている。

第5に、この本は、日本共産党の機関紙・赤旗(日曜版)における連載から生まれ、日本共産党の協力のもとに出版された経緯を鑑みれば、“事実”よりプロパガンダの性格が強い。

第6に、筆者の遠縁と知人2名が(医学博士と法学者)が旧満州に渡航し、実際に石井731部隊を訪れている。くまなく現地を視察しているにもかかわらず、しかし、森村誠一氏が記述した如くの人体実験設備、そのためのマルタ(捕虜)収容所、毒ガス、細菌兵器に関する研究施設は存在していなかった。

 この続きとして、下記は、筆者が記憶鮮明な少年期に、生きて日本に帰還した遠縁者とその知人から幾度と無く聞いた話の概要である。

 石井四郎氏と実際の現場担当者からも、そうした残忍な類の話は聞いていない。同部隊の存在と施設の役割と使命は、駐留軍隊と移住民のための防疫給水と伝染病の予防にあった。旧満州の水に関する衛生状態はきわめて深刻であり、井戸を掘って汲み置きした水であっても、度々襲来する窓わくに堆積するほどの黄砂が水を濁らせた。

 水は、かろうじて、やかんで沸騰させて飲用に用いたが、時間が経てば、やかんの底にはさまざまな不純物が沈殿するほど汚い水であった場合が多かった。このように、泥や砂が混合している現地の水では、そのまま生活上水道としての使用することは困難であった。

 今日のように精密なフィルターが無い時代であればこそ、水に混合している不純物(藻類や微生物、細菌)を除去する方法の研究は死活問題であった。ただし、石井部隊の建物には、予防データの作成と予防法の解明を前提とし、伝染病、疫病に感染した者を入院させ、軍医の指導のもとに、実習生が治療にあたる小規模の病院設備は施設内にあった。

 しかし、森村誠一氏が書いたような、残虐な人体実験の設備や、毒ガスや細菌兵器を研究した、かの如くの話はまったくの嘘、偽りであるといえる。実際に現場を見てきた我々が否定され、見もしない者がとうとうと“真実”であるかのように書き立てる。これほど残念なことはない。

 −−−−−−−−−−−−

 石井731部隊の防疫活動研究班は、「石井式濾水機」(水のろ過器)を開発し、実際運用の面で成果を残している。組織は次の通り:

防疫給水部本部(満州第731部隊)
総務部/副官室/調査課/翻訳班/印刷班/写真班/兵要地誌班/調査班/図書班/人事課/庶務課/労務班/庶務室/食堂/酒保/学校/企画課/経理課/管理課/建設班/工務班/動力班/運輸班/電話班/軍需課

第一部(部長:菊池斉/細菌研究)
第一課(チフス) 田部班(班長:田部井和/チフス研究)
第二課(コレラ) 湊班(班長:湊正男/コレラ研究)
第三課(生理・マルタ管理) 吉田班(健康診断)/宮川班(レントゲン)/在田班(レントゲン)/栗秋班(薬理)/草味班(班長:草味正夫/薬理研究)/石井班(捕虜入出管理)/蓬田班(捕虜入出管理)/志村班/特別班(特設監獄)/
第四課(赤痢) 江島班(班長:江島真平/赤痢研究)
第五課(ペスト) 高橋班(班長:高橋正彦/ペスト研究)
第六課(病理) 石川班(班長:石川太刀雄丸/病理研究/岡本班(班長:岡本耕造/病理研究)
第七課
第八課(リッケチア) 野口班(班長:野口圭一/リケッチア・ノミ研究)
第九課(水棲昆虫) 田中班(班長:田中英雄/昆虫研究)
第十課(血清) 内海班(血清研究)/小滝班(ツベルクリン)
第十一課(結核) 肥之藤班(脾脱疽)/太田班(班長:太田澄/炭疽研究)/樋渡班/降旗班(ペスト)/金沢班/貴宝院班(天然痘/二木班(班長:二木秀雄/結核研究)
所属課不詳 笠原班(班長:笠原四郎/ウイルス研究)/吉村班(班長:吉村寿人/凍傷研究)

第二部(実施研究)
八木沢班(班長:八木沢行正/植物菌研究)/焼成班(爆弾製造)/気象班/航空班/
無線班/田中班(昆虫)/篠田班(昆虫)/安達実験場

第三部(防疫給水)
庶務課
第一課(検索)
第二課(毒物検知)
第三課/濾水班/給水班/運輸班/工作班(濾水機)/濾水機・弾筒製造窯

第四部(部長:川島清 軍医少将/細菌製造)
第一課(華頂:柄沢十三夫 軍医少佐/培養生産) 野口班(ペスト・脾脱疽)
第二課
第三課(乾燥菌・ワクチン)
第四課(ワクチン)
有田班(班長:有田正義/発疹チフス・ワクチン)
植村班(瓦斯壊疽・脾脱疽)

所属課不詳 朝比奈班(班長:朝比奈正二郎/発疹チフスおよびワクチン製造)
教育部(部長:西俊英 軍医中佐/隊員教育)
庶務課
教育課/衛生兵/炊事班/診療所/錬成隊/少年隊
資材部(実験用資材)
庶務課
第一課(薬品合成) 山口班(細菌弾)/堀口班(ガラス)
第二課(購買補給)
第三課(濾水機)
第四課(倉庫)
第五課(兵器保管)
第六課(動物飼育)

診療部(付属病院)
伝染病棟
診療室
家族診療所
憲兵室
保機隊

支部
牡丹江支部(満州第643部隊;支部長:尾上正男 軍医少佐)
総務課
経理課
第一課
第二課
第三課
資材課
教育課

林口支部(満州第162部隊)
総務課
第一課
第二課
資材課
教育課

孫呉支部(満州第673部隊;支部長:西俊英 軍医中佐)
総務課
第一課
第二課
資材課
教育課

海拉爾支部(満州第543部隊)
総務課
第一課
第二課
資材課
教育課

大連支部(満州第319部隊)
総務部
研究部
製造部

 −−−−−−−−−−−−

プロパガンダの中で造られた“石井731部隊”


 以上の組織(構成員約3000名)が石井731部隊として、旧満州国の平房(ピョンファン)に存在していた。不可侵条約を破棄した旧ソ連軍の満州侵攻が始まった1945年8月、部隊は“秘密隠匿”のため、施設を“完全破壊”するとともに、“実験試料のマルタ”をすべて殺害して退散したとされている。

 しかし、“完全破壊”されたはずの建物の大半は残り、修理が加えられたものの石井部隊の本部棟は原型はそのままに、最近まで小学校として使用されていた。もし、支那が森村誠一氏の記述を支持して主張するような惨劇があった場所であるならば、アウシュビッツ収容所跡のような記念館等に充当するのであればまだしも、いかなる神経をもつ民族とはいえ、児童の学び舎に充当できる、とは考え難い。


 概略だが、石井部隊がなしたとする“最後の惨劇”について、支那人に尋ねれば次のように答えた。筆者が米国在中に、複数の人物が真剣に語っていた話をここで
紹介したい。以下:

 すべての施設は爆破され、収容していたマルタの大量虐殺が始まった。監獄へ青酸ガスを流し込み、それでも殺せない者は日本兵が銃剣で止めを刺しながら歩いた。残ったマルタを一ヶ所に集めて爆発物を投じて一挙に爆死させたりした。それでも残っているマルタには二人一組にして互いに殺し合わせることで処分した。

 証拠が発見されたり、マルタが生き証人として残れば罪は免れない。撤退作業の中、マルタの殺戮は激越を極めた。また、死体の隠滅を図るために、大きな穴を掘ってそこに死体を一挙に投げ入れてガソリンをかけて燃やした。死体は生焼けで異様な匂いを放った。土をかぶせて部隊は撤退作業を行った。

 焼却された死体の骨は松花江(スンガリー)という川に運ばれて投棄された。証拠は跡形もなく隠滅せねばならなかったのだ。

 以上がプロパガンダのあらましだが、必ずしも異口同音ではないかもしれない。だが、筆者が問いかけたい疑問は次の通りである:

第1に、一切の証拠隠滅が行われたとする以上のような惨劇を支那人の誰が目撃したのか? 旧日本兵で実名でこうした証言する者は皆無である。

第2に、語られる様子が、毛沢東が文化大革命で自国民を大量殺害した手法と同じである。森村氏の“ノンフィクション”発表以降に、支那が騒ぎ出した経緯をみれば、むしろ自国の出来事を語っているかのように聞こえる。(“南京大虐殺”の手法も毛沢東と同じであるゆえ)

第3に、旧満州国末期に、隊員の数倍もの数の遺体にかけて燃やすほどのガソリンが存在していたのか?

第4に、土で埋めたはずのマルタの死体が出て来なかったのはなぜか? また、それだけの惨劇があったとすれば、跡地を小学校に使用する神経とはいかなるものか?

第5に、片や、松花江という川に投棄したとする大量骨が発見されなかったのはなぜか? 片や、埋めたといい、片や、川に流したという。旧ソ連軍が南下しつつある状況で、それほど大量の遺骨を現場から数キロも離れた川に運ぶ余裕が石井部隊にあったのか?

 以上の第5まで、筆者の質問に支那人の学識者は明解に答えられなかった。

第6に、上記も含めて、「証拠がない」ことを“証拠隠滅”に置き換え、米軍との司法取引があったかの如く喧伝している。が、しかし、米国にも資料は存在していない。
 
 もって、石井731部隊の残虐は真実とはいえない。
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2006年10月11日

過去の発言は「個人の見解」 首相の歴史認識で答弁書

asahi.com > 政治 > 国政 > 記事
過去の発言は「個人の見解」 首相の歴史認識で答弁書2006年10月11日02時09分
 政府は10日に閣議決定した歴史認識などに関する答弁書で、安倍首相の過去の発言をただす質問に対し、「政府として答える立場にない」との回答を乱発した。戦後50年の「村山首相談話」など、首相が継承を表明したもの以外はノーコメントを通した。

 社民党の辻元清美衆院議員の質問に答えた。辻元氏は、雑誌などから「自虐史観に侵された偏向した歴史教育」といった首相就任前の発言を引用。「政治家として歴史認識を示すべきではないというのなら、何を根拠に『歴史教科書が問題だ』と発言してきたのか」とかみついた。

 答弁書は「首相就任前に政治家個人として記したもの」と大半をかわしたが、靖国参拝では「国のために戦った方々に尊崇の念を表するため」と答弁。回答基準のあいまいさも目立った。


歴史認識が政局になる時代ではないことを各野党の人たちは認識しなければならないのではないか?
本当の意味で「税金ドロボー」(秘書給与詐欺)が国会で騒々しいのは腹が立つし、選挙区の人は何を考えているのかはなはだ疑問が生じますね。

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2006年10月02日

続・続・鳩山由紀夫幹事長はどこの国の国会議員なのだろうか?

鳩山氏「美しい国」批判 衆院代表質問

安倍晋三首相初の所信表明演説に対する各党代表質問が2日午後、衆院本会議で始まった。最初に質問に立った民主党の鳩山由起夫幹事長は、首相が掲げる「美しい国」について、「いくら美辞麗句を並べても、国民が生活の中で幸せを享受できなければ政治とはいえない」と批判し、対決姿勢を鮮明にした。

 鳩山氏は、検査入院中の小沢一郎代表に代わって質問した。鳩山氏は先の大戦での日本の行為や、「A級戦犯」の国家指導者としての責任などに関連し、安倍首相の歴史認識を問いただした。また中国や韓国との関係について、「首脳間の政治的な信頼関係が損なわれている」と指摘、アジア外交立て直しの具体策を求めた。

 消費税について首相が所信表明演説で「逃げず、逃げ込まず」と述べたことを受け、「参院選が終われば(税率を)上げるつもりではないか」と指摘した。

 教育問題では、政府・与党が今国会の成立を目指す教育基本法改正案の廃案を訴えるとともに、民主党が提出している「日本国教育基本法案」への同調を促した。

 さらに高齢者や障害者が直面している負担増の現実についての認識を求めた。

【2006/10/02 大阪夕刊から】

(Sankei Web)


鳩山さんへ一言 あなた自身が「日本国教育基本法案」の精神を実践しなさい!

>鳩山氏は先の大戦での日本の行為や、「A級戦犯」の国家指導者としての責任などに関連し、安倍首相の歴史認識を問いただした。また中国や韓国との関係について、「首脳間の政治的な信頼関係が損なわれている」と指摘、アジア外交立て直しの具体策を求めた。

>日本を愛する心を涵養し、祖先を敬い、子孫に想いをいたし、伝統、文化、芸術を尊び、学術の振興に努め、他国や他文化を理解し、新たな文明の創造を希求することである。
(日本国教育基本法案要綱 一部抜粋)
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続・鳩山由紀夫幹事長はどこの国の国会議員なのだろうか?

安倍首相“初陣”…靖国参拝は明らかにせず


鳩山氏(右)の代表質問を聞く安倍首相=2日午後1時半すぎ、衆院本会議場
 安倍晋三首相の就任後初の所信表明演説に対する代表質問が2日午後、衆院本会議で始まった。

 この中で安倍首相は先の戦争の歴史認識について「95年の村山首相談話と05年の小泉首相談話に示されているとおり、植民地支配で多大な苦痛と損害を与えた」と述べた。

 しかし、A級戦犯の戦争責任については「政府として具体的に断定することは適当でない」とし、従来通りの見解を表明。靖国神社を参拝するかどうかについても明らかにする考えがないことを強調した。民主党の鳩山由紀夫幹事長の質問に答えた。

 入院中の小沢一郎代表に代わって質問した鳩山氏は、「美しい国」づくりを掲げた首相の演説について「いくら美辞麗句を並べても、国民が生活の中で幸せを享受できなければ政治とは言えない」と批判。政府・与党との対決姿勢を鮮明にした。

ZAKZAK 2006/10/02


鳩山さんに一言 「いくら美辞麗句を並べても、国民が生活の中で幸せを享受できなければ政治とは言えない」→「自虐史観を並べても、国民が生活の中で幸せを享受できなければ国益とは言えない」と批判させていただきます。

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鳩山由紀夫幹事長はどこの国の国会議員なのだろうか?

A級戦犯責任、明言せずと安倍首相=「東京裁判には異議ない」−衆院代表質問

 安倍晋三首相は2日午後の衆院代表質問で、A級戦犯の戦争責任について「政府として具体的に断定することは適当ではない」として、具体的な言及を避けた。小泉純一郎前首相は「A級戦犯は戦争犯罪人」との認識を示していたが、安倍首相は自民党総裁選でも「歴史家の判断に委ねるべきだ」などと発言していた。民主党の鳩山由紀夫幹事長の質問に対する答弁。
 首相は、A級戦犯を裁いた極東国際軍事裁判(東京裁判)については「わが国はサンフランシスコ講和条約により裁判を受諾しており、国と国の関係においてこの裁判に異議を述べる立場にない」と指摘した。 
(時事通信)


安倍さんへ一言
裁判を受諾」→「諸判決を受諾」
裁判に異議を述べる立場にはない」→「諸判決に異議を述べる立場にはない」

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2006年08月27日

金持ち優遇税制の実現を!

「朝まで生テレビ」で小泉首相の靖国参拝、戦争責任、なぜ不毛な戦争が継続したのかなどを議題としていました。
またまた、田原総一郎さんは自らの「満州事変から日本の戦争は侵略戦争」なる主張をしていました。(これを新大東亜戦争肯定論著者の富岡幸一郎さんにいつもの恫喝によって同意させていました。この恫喝も言論へのテロだと思うけどなー)

さて、今回は「なぜ不毛な戦争が継続したのか」について自分の考えを述べたいと思います。
渡部昇一さんは「国家社会主義」の台頭が原因だとしています。共産主義(社会主義)は私有財産を否定して、国有財産(公有財産)にすることにより、平等な富の分配ができるという考え方です。当時の日本は(今もそうかもしれません)都市と地方の経済格差、財閥への富の集中などがあり自由経済主義に対し左翼勢力は天皇制を廃止する共産主義を唱え(この対策として治安維持法が作られました。余談ですが渡部昇一さんは天下の悪法といわれたこの法律を容認しています)、右翼・軍部の若手将校や官僚などのエリートは国家社会主義に心酔するようになりました。
ここで注意したいのは私有財産を国有財産にする考え方は左翼も右翼も共通する主張ということです。
戦争という非常事態を長引かせれば、私有財産を制限する政策でも国民からはやむなく支持を得やすくなるということです。
一度戦争が始まれば国に富を集中しやすくなるわけです。
そこで社会主義的思想を持った官僚たち(企画院と呼ばれていたものです)によって「国家総動員法」(1937)をはじめとする社会主義的各種法律(「電力国家管理法」1937、「食糧管理法」1942、「改正日本銀行法」1942)が成立されていったということです。
渡部昇一さんの主張としては社会主義的政策を官僚(企画院)が実現するために戦争を長引かせたということです。

この教訓を我々は忘れてはならないということです。幸いにも今の日本は世界第2位の経済規模を誇っていますので、政府による産業への傾斜配分は不要となっています。したがって、こういった社会主義的政策は不要なわけです。これからは付加価値創造が重要になるわけです。
この付加価値創造の足かせとなるのが、「累進課税制度」「相続税」といった金持ち冷遇税制なわけです。
小泉改革のスローガンは「官から民へ」でしたが、まさに富も「官から民へ」を実現しなければなりません。
そのためにも金持ち優遇税制を実施し、日本に金持ちを増やすようにしなければなりません。
そうすれば、仮に憲法改正などで再軍備を実施しても先の大戦のような過ちをすることはないでしょう。なぜならば「金持ちけんかせず」です。
また、当時の日本は欧米列強と比べれば「持たざる国」であったため、乾坤一擲、一か八かの「自衛戦争」を12月8日に開始しなければならなかったのではないのでしょうか?

官に富が集中するとろくなことをやりません。
戦前は集中した富を戦費として浪費し、戦後は各省庁での無駄遣いや天下り、特殊法人へと流れているわけです。

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無条件降伏

日本は先の大戦で無条件降伏したから、今日の民主主義国家ができた。というのが歴史認識の定番になっています。
ここで論点となるのが
@日本は無条件降伏したのか
Aアメリカが占領したから民主主義国家になったのか(アメリカ軍開放軍説)
この2点だと思います。
@についてですがポツダム宣言を見ると最後に「われらは、日本国政府が直ちに全日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、かつこの行動における同政府の誠意について適当かつ充分な保障を提供することを同政府に対し要求する。これ以外の日本国の選択には、迅速かつ完全な壊滅があるだけである。」とあります。
この解釈が見解の分かれるところなのですね。この一文が入っている「ポツダム宣言」を受諾したのだから「無条件降伏」したという解釈。

この一文には日本国政府が無条件降伏したのではない全日本国軍隊が無条件降伏したのだという解釈

この一文の前に「われらの条件は、以下のとおりである。
われらは、右の条件より離脱することはない。右に代わる条件は存在しない。われらは、遅延を認めない。」という「条件」が明記されているから「有条件降伏」だという解釈

この中のどれを支持するかによって日本が無条件降伏したか否かが分かれるところですが、「無条件降伏」の解釈自体が間違っているのではないかということです。

「無条件降伏」という言葉は、まさに戦勝国に何をされてもかまいませんという響きがあります。日本は戦国時代があったので、戦国武将たちのさまざまな戦いとその結果を知っているため、このような解釈が広くされているのではないかと思います。そういった意味では日本は決して「無条件降伏」をしていません。ポツダム宣言では「無条件降伏」の「条件」をきっちり明示してあります。
では、軍隊が無条件降伏したのであり日本国政府は無条件降伏をしていないという解釈も無理があります。軍隊は政府の一部ですから日本政府および日本国が「無条件降伏」したことには変わりありません。

ポツダム宣言の無条件降伏とは宣言の全文にも明記してありますが「ポツダム宣言の条件を無条件で受諾しないと痛い目に合いますよ!」という意味ですよね。このことを我々は理解しなければなりません。相手の言っていることを無条件で受け入れた面はあることは確かですが、相手の言っている条件が許容しえる条件だからこそ日本はポツダム宣言を受諾し、降伏したわけです。ここはしっかり抑えたいところです。だから無条件降伏した日本は戦勝国に何もいえないことはないのです。

次に占領軍が来たから民主化されたのかどうかという点ですが、これまたポツダム宣言に「日本国政府は、日本国国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去しなければならない。言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は、確立されなければならない。」とあります。つまり、戦時中はともかく戦前は(大正デモクラシーという言葉があるとおり)民主主義があったわけです。(アメリカもイギリスも蒋介石も認識していた。)
戦後日本の出発点はアメリカに教えられたものではなく、元々あった民主主義をポツダム宣言を受諾することによって自らの意思で復活させることを決意したということではないのでしょうか?
このことは非常に重要です。

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2006年08月24日

先の大戦に関する考察

私は損害保険関係の仕事をしています。職業柄交通事故に例えて先の大戦について考察してみたいと思います。

ある日私は友人たちとキャンピングカーを牽引した車に乗ってバカンスに出かけようとしました。牽引している車だけではなくキャンピングカーにも人を乗せて走りました。
私は車に乗っている友人たちと「交代で運転しよう」と提案しました。一人で運転していたら眠気も誘うし、危ないですから。車は私たちの尊敬する先輩から同意を得て借りています。
キャンピングカーに乗っているのは私たちの後輩です。中には積極的に今回のバカンスに賛成して参加していますが、中には先輩が言っているから仕方なしに付き合っている人もいました。
たまたま私が片道一車線の道を走っていたら、前方にダンプカーが5台ぐらい車線を防いで停車していました。センターラインははみ出し禁止ではありませんでした。私は仕方なしにセンターラインを超え反対車線に出たら、向こうから、バイクに乗った集団がやってきました。結局私はそのバイク集団と正面衝突してしまいました。そのバイクの集団の後方には5台ほど停車していたダンプカーが何故かUターンしてきており、そのダンプとも衝突してしまいました。
バイクの集団はかなりの人が命を落としました。ダンプカーは前方部は大破しましたがエンジンに支障はなく走ることができました。乗っている人間は怪我をしました。
こちらの同乗者もやはりこの事故で命を落とした人間もいます。
キャンピングカーに乗っている人間も怪我をしましたが、怪我をしたのは積極的に今回の企画に賛成したやつらで、消極的なやつらはほぼ無傷でした。
私は「業務上過失致死」に問われました。ただ、今回の事故の賠償(バイクの集団とキャンピングカーに同乗していた人たちとダンプカーの持ち主)については示談ができました。ただ驚いたことに、この事故の後センターラインは黄色(つまりはみ出し禁止)に塗り替えられていました。
もし、塗り替えられる前ならば、前方に止まっていたダンプカーも共同不法行為として共犯になるものと思っていましたが、裁判では塗り替えられた後の制度を準用されて私一人が牢屋にぶち込まれました。
私は臥薪嘗胆の思いで刑期を終え、出所し各種ボランティアに精を出していたら、バイクの集団とキャンピングカーに乗っていた奴らから「誠意が足りない」といちゃもんがつけられ「一回は示談したけどその後むち打ちのせいか首が痛いんだよねー」と訴えがありました。私はうるさいのは嫌なので「じゃあこれで勘弁してください。」いくらかの金品を与えました。
私は車に同乗していた仲間のうち命を落とした人もいたので私の信ずる宗派で慰霊しました。するとバイク集団やキャンピングカーに乗っていた人たちが、「あなたが慰霊しているのは一緒に運転していた人たちではないか。そんな人たちを慰霊するとはやはり誠意が足りないのではないか!」といわれてしまいました。

民法の常識で言えば一度示談したら「それでおしまい!」というのが常識です。ただし、この常識を私が訴えようとすると「加害者のくせに!」とマスコミから批判されてしまいます。

これって現実社会で起きたら、「おかしいんじゃないのー」って思いますよねー。このように思う人は良識と分別を備えた方だと思います。
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posted by @隼人正 at 01:23| Comment(2) | TrackBack(4) | 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月23日

日経新聞

小泉首相の靖国参拝について「産経新聞」以外の各紙は批判的だったことでしょう。
たまたま8/16は北海道から東京に戻る飛行機の中で日経新聞を読んだのですが、やっぱりスタンスがダメですね。丸山真男さんを引用しているのですが「欧米の成熟した市民と民主主義が織りなす調和的な社会の仕組みと後発近代国家の日本にどれほどの落差があるか。それが丸山政治学の出発点といわれる。」とに記述。
欧米が先進的で日本は後発的であるとの認識のままです。1868年当時であればこの記述は正しいのでしょう。
これについての反論はまた後日。
ただ一言いえるのは、人種差別撤廃を国際政治の場で公に提言したのは戦前の日本であり、普通選挙制度を導入したのも戦前の日本が先駆けではなかったのでしょうか?
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posted by @隼人正 at 00:40| Comment(1) | TrackBack(1) | 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月21日

歴史認識について

小泉首相の8.15の靖国参拝で「サンプロ」をはじめあらゆる番組で歴史認識についての議論があります。
そこで田原総一郎さんなんかは「満州事変」以後の戦争・事変について「侵略戦争」か「自衛戦争」かと定義付けをしたがりますね。
田原総一郎さんは「侵略戦争」と信じ込んでいる様子があります。(所謂司馬史観なのでしょうか?)
私が思うには当時の「自衛戦争」は「侵略戦争」にならざる得なかったのではないかと思います。
つまり今の価値観で言えば当時の戦争は「侵略戦争」以外ありえなかったのではないかなーと思います。
だって、田原総一郎さんが言うところの「自衛戦争」である日露戦争の戦場はどこですか?陸戦は203高地をはじめとする日本の領地以外ですよ!
今の中国大陸(渡部昇一さんの言葉を借りれば支那大陸−私もそう思います。)を戦場にしている点では「日露戦争」も「満州事変以後のアジアにおける戦争」も同じですよね。何が違うのでしょうか?
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