2006年11月02日

毎日新聞が名誉挽回を目指しています。

毎日新聞が名誉挽回を図ってか、報道の公平を立証するためかチベットのダライラマ14世の記事を載せていました。


<ダライ・ラマ>胡政権は現実的 チベット帰還を楽観視
 インドに亡命中のチベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世が2日午前、訪問中の広島市内で毎日新聞などと会見し、「最近の中国は胡錦濤政権下で民主化が進み、政策が現実的になった」と評価した。自らのチベット帰還の可能性について「私たちは独立を望んでおらず、外交と国防以外の自治を求める現実的な方策を主張しており、(帰還を)楽観している」と述べた。
 ダライ・ラマは胡政権の進める調和社会政策について「地方の草の根レベルで民主化が進んでいる」と述べた。だが、チベット自治区の現状に関しては「僧侶は政治学習を強制され、依然、宗教や報道の自由が厳しく制約されている」と人権抑圧を批判した。今年7月の青蔵鉄道のラサ開通についても「中国人(漢族)が大勢来て危険になると喫茶店で話しただけでチベット族が拘束されたとの情報がある」と述べた。情報の真偽は不明。
 ダライ・ラマのチベット帰還などを協議する亡命政府と中国政府との直接交渉は02年9月に再開され、今年2月に北京で5回目の協議が開かれた。だが、中国側にはダライ・ラマがチベット独立を望んでいるのではないかとの警戒があって進展せず、第6回の協議開催を待っている状況だという。ダライ・ラマは「胡政権は用心深い。当局には私を敵視する見方もある。私は政治的地位は何ら望んでいない」と述べた。【吉富裕倫】
(毎日新聞) - 11月2日12時59分更新



なるほど!例えチベット仏教最高指導者であるダライ・ラマ14世の発言でも裏の取れない発言内容については「真偽は不明」と公平に報道されています。

生体解剖:フィリピンでも 大戦末期 元衛生兵が証言
 第二次大戦末期、フィリピン・ミンダナオ島で、負傷兵の治療などに当たっていた元上等衛生兵曹の牧野明さん(84)=大阪府枚方市=が、仕えていた軍医とともに現地住民を生きたまま解剖したことがあると証言、その体験を基に、近く語り部活動を始める。解剖は軍医が衛生兵の医療実習として個人裁量で行ったとみられる。戦時中の生体解剖は旧満州(現中国東北部)の生物戦部隊「関東軍731部隊」が中国人に行った例が知られているが、専門家によるとフィリピンに関する証言は初めてという。【久木田照子】

 牧野さんは海軍第33警備隊の医務隊に所属。1944年8月から同島西部のサンボアンガ航空基地で負傷兵の治療などに当たった。医務隊は30代の軍医(大尉)を筆頭に、補佐役の牧野さんら三十数人がいた。

 牧野さんによると、解剖は同年12月から、米軍のスパイと疑われた住民(捕虜)に対し、基地内の病院で行われた。軍医の指示を受けながら2人で執刀。麻酔をかけた上で、10分〜3時間かけて、手足の切断や血管縫合、開腹手術などをした。解剖中は部下が助手や見張りをした。

 米軍上陸直前の45年2月まで3日〜2週間ごとに行われ、犠牲者は30〜50人に上るという。遺体は部下が医務隊以外に知られないように運び出して埋めた。

 牧野さんの部下だった80代の男性は「かわいそうで解剖には立ち会わなかったが、(何が行われていたかは)仲間に聞いて知っていた。遺体も見た」と話している。

 解剖が始まる2カ月前には、レイテ沖海戦で日本海軍が壊滅的な打撃を受け、サンボアンガも空襲されるなど戦局は厳しさを増していた。軍医は牧野さんに「おれが死んだら、おまえが治療を担当しなければならないから」と解剖の理由を説明したという。

 45年3月に米軍が同島西部に上陸後、日本兵はジャングルを敗走。病気や飢えなどで医務隊も大半が死亡し、軍医は自決したという。

 牧野さんは「命令に逆らえず、むごいことをした。戦争体験者が減りつつある今、自分には戦争の真実を伝える責任がある」と話している。


毎日新聞 2006年10月19日 3時00分




どこの馬の骨か分からない牧野明の発言の真偽は確かめないのか!!

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posted by @隼人正 at 13:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 外交 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

毎日新聞がかわいそうな状態です。

毎日新聞の在日記者「朴鐘珠」が天皇皇后を佐賀に呼ぶなと知事に噛み付いたため、昨日あたりは佐賀支局に電凸が集中して大変なようです。

!
各ブログの電凸記事を見る限り、支局長と思われる方の応対は馬鹿な在日部下を持ったための不幸ですね。

毎日新聞も全国紙なのですから一痴呆記者の言動だけを大きく取り上げるのはどうかと?

みなさんもちゃんと他の記事も見比べて冷静に判断したほうがいいと思いますよ!





















生体解剖:フィリピンでも 大戦末期 元衛生兵が証言
 第二次大戦末期、フィリピン・ミンダナオ島で、負傷兵の治療などに当たっていた元上等衛生兵曹の牧野明さん(84)=大阪府枚方市=が、仕えていた軍医とともに現地住民を生きたまま解剖したことがあると証言、その体験を基に、近く語り部活動を始める。解剖は軍医が衛生兵の医療実習として個人裁量で行ったとみられる。戦時中の生体解剖は旧満州(現中国東北部)の生物戦部隊「関東軍731部隊」が中国人に行った例が知られているが、専門家によるとフィリピンに関する証言は初めてという。【久木田照子】

 牧野さんは海軍第33警備隊の医務隊に所属。1944年8月から同島西部のサンボアンガ航空基地で負傷兵の治療などに当たった。医務隊は30代の軍医(大尉)を筆頭に、補佐役の牧野さんら三十数人がいた。

 牧野さんによると、解剖は同年12月から、米軍のスパイと疑われた住民(捕虜)に対し、基地内の病院で行われた。軍医の指示を受けながら2人で執刀。麻酔をかけた上で、10分〜3時間かけて、手足の切断や血管縫合、開腹手術などをした。解剖中は部下が助手や見張りをした。

 米軍上陸直前の45年2月まで3日〜2週間ごとに行われ、犠牲者は30〜50人に上るという。遺体は部下が医務隊以外に知られないように運び出して埋めた。

 牧野さんの部下だった80代の男性は「かわいそうで解剖には立ち会わなかったが、(何が行われていたかは)仲間に聞いて知っていた。遺体も見た」と話している。

 解剖が始まる2カ月前には、レイテ沖海戦で日本海軍が壊滅的な打撃を受け、サンボアンガも空襲されるなど戦局は厳しさを増していた。軍医は牧野さんに「おれが死んだら、おまえが治療を担当しなければならないから」と解剖の理由を説明したという。

 45年3月に米軍が同島西部に上陸後、日本兵はジャングルを敗走。病気や飢えなどで医務隊も大半が死亡し、軍医は自決したという。

 牧野さんは「命令に逆らえず、むごいことをした。戦争体験者が減りつつある今、自分には戦争の真実を伝える責任がある。」と話している。

毎日新聞 2006年10月19日 3時00分


皆さん!!【久木田照子】にも電凸してくださーい。

別の意味でここまでくると「かわいそうな新聞です。」
普通の感覚があれば牧野明なる人物が「従軍慰安婦問題」の吉田某と同じ臭いがするだろうよ!
朝日が「従軍慰安婦問題」で過ちを犯したから、この牧野明なる人物が毎日にいったんじゃーないの?
何も裏づけがないのによく「戦争体験者が減りつつある今、自分には戦争の真実を伝える責任がある。」と言えるなー。
逆に言うと「戦争体験者が減りつつある今、」だから「口からでまかせ」が言えるではないのだろうか?

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posted by @隼人正 at 01:10| Comment(4) | TrackBack(4) | 皇室関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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