2006年08月27日

義務教育の自由化を実現しよう!

小学校と中学校は「義務教育」なので「親の義務」として何事があろうとも子供を通わせなくてはなりません。ほとんどの家庭は公教育に通学させることとなります。
でも、私の周りの親は(といっても普通のサラリーマン家庭がほとんどです。)今の小学校は「学級崩壊」があったり、「ゆとり教育のおかげで学力低下」があったりと、正直「お金があったら(あと子供に能力があれば)私学の小学校に通わせたい!ダメなら中学からでもー」という血の叫びがあります。
なぜか政府はこの義務教育を「国が教育の施設を作る義務・運営する義務」があると勘違いしているのではないのでしょうか?
安倍さんは政策構想として憲法改正と教育基本法の改正が急務と訴えています。また、麻生さんは義務教育の低年齢化を提唱されています。
これらは、「学級崩壊」や「学力低下」の特効薬ではないのです。

やはり義務教育も「官から民へ」を実現しなければなりません。
教師という職業がサービス業とするならば子供教育に対し「使命感」を持った人でなければならないと思います。今の教師には、その使命感を持っている人が何割いるか疑問です。「使命感」を持っていれば、組合活動なんかしている暇はありません。24時間自分のクラスの運営、学力の向上、人格の形成に力を注いでくれる人が望ましいのです。(中小企業の社長は従業員の家族の生活を守るため24時間売り上げの向上や資金繰りについて考えている人がいます。)
こんなことを言うと「使命感を持った教師はいる!」との指摘があると思いますが、逆を言えば「事勿れ主義の人もいる!」ということになります。

現在、少子化と都市の空洞化により、田舎だけではなく都市でも小学校などの廃校が進んでいます。また、廃校まで行かなくてもクラスの数が減少し教室が余っている学校も多いのではないのでしょうか?
これらの施設を私立小学校に貸し出すようにすればいいのです。
つまり、新規の私立小学校を設立しやすくするのです。
すると理念と使命感を持った教育者が自己の信念に基づいた学校が設立されることでしょう。

それとあわせて、教育予算の配分の変更と扶養控除の変更が必要です。現在、国と地方から公立教師の給与が支払われていますが、この予算を児童の学費に補助金として充当するのです。(奨学金の支払方法と同じような方式で、当人に対しては学費および通学の費用が免除となり、国・地方が支払うようにするということです。)これは所得の低い人でも私立の学校に行く財源とするのです。ある一定の所得以上の人は学費全額を所得控除(扶養控除に算入)に算入するのです。日本は幸いにも(?)累進課税制度なのである一定の所得以上の人は限界税率を考えれば3割引以上になります。

すると私立学校が増えれば選択の幅が広がることになり、設立者の信念、教育方針に賛同した父兄が自分の子供たちをその学校に通わせることができるのです。今の私学の数は圧倒的に少ないのが問題であり、貧乏人は入学すらできません。

すると競争原理が働き、画一的なものが減り、個性的な学校が増えると思います。ただし、このままでは私立学校が有利で、公立学校が不利となる可能性があります。たとえば、教育に関して非協力的でクレーマーみたいな保護者がいることも事実ですから、学校側も生徒(というか保護者)を選ぶ権利があるようにすればいいのです。但しこの権利が濫用されてはいけないので、一定の歯止めの仕組みは必要となりますが・・・。でも心配することはありませんそのような親にも適応できる私立学校もできる可能性がありますから。(親もまとめて教育してしまうということですね。)

予想される反対意見としては「戸塚ヨットスクールみたいな小学校ができたらどうするんだ!」があるかもしれませんが、できてもいいのです。このような学校がいやならば最初から入学させなければいいのですから。

また、別の意見としては「格差社会を助長するのでは?」という指摘もあるかもしれません。それはあまりにも悲観的な意見です。なぜならば、貧乏人に対しても等しく児童の資質のみで学校を選ぶことができるからです。

最後に教育基本法改正に関してですが、今の基本法ができたときは「教育勅語」が生きていたそうです。したがって、車の両輪ののような働きがあったといわれています。(お互い補完しあっていたということですね。)
いま、口語訳を読んでいても「軍国主義」を連想させるものは一言もないのですから、国会決議で復活を宣言しても良いのではないのでしょうか?
国民の象徴たる天皇陛下の言葉ですから。
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posted by @隼人正 at 22:40| Comment(3) | TrackBack(2) | 教育制度 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

金持ち優遇税制の実現を!

「朝まで生テレビ」で小泉首相の靖国参拝、戦争責任、なぜ不毛な戦争が継続したのかなどを議題としていました。
またまた、田原総一郎さんは自らの「満州事変から日本の戦争は侵略戦争」なる主張をしていました。(これを新大東亜戦争肯定論著者の富岡幸一郎さんにいつもの恫喝によって同意させていました。この恫喝も言論へのテロだと思うけどなー)

さて、今回は「なぜ不毛な戦争が継続したのか」について自分の考えを述べたいと思います。
渡部昇一さんは「国家社会主義」の台頭が原因だとしています。共産主義(社会主義)は私有財産を否定して、国有財産(公有財産)にすることにより、平等な富の分配ができるという考え方です。当時の日本は(今もそうかもしれません)都市と地方の経済格差、財閥への富の集中などがあり自由経済主義に対し左翼勢力は天皇制を廃止する共産主義を唱え(この対策として治安維持法が作られました。余談ですが渡部昇一さんは天下の悪法といわれたこの法律を容認しています)、右翼・軍部の若手将校や官僚などのエリートは国家社会主義に心酔するようになりました。
ここで注意したいのは私有財産を国有財産にする考え方は左翼も右翼も共通する主張ということです。
戦争という非常事態を長引かせれば、私有財産を制限する政策でも国民からはやむなく支持を得やすくなるということです。
一度戦争が始まれば国に富を集中しやすくなるわけです。
そこで社会主義的思想を持った官僚たち(企画院と呼ばれていたものです)によって「国家総動員法」(1937)をはじめとする社会主義的各種法律(「電力国家管理法」1937、「食糧管理法」1942、「改正日本銀行法」1942)が成立されていったということです。
渡部昇一さんの主張としては社会主義的政策を官僚(企画院)が実現するために戦争を長引かせたということです。

この教訓を我々は忘れてはならないということです。幸いにも今の日本は世界第2位の経済規模を誇っていますので、政府による産業への傾斜配分は不要となっています。したがって、こういった社会主義的政策は不要なわけです。これからは付加価値創造が重要になるわけです。
この付加価値創造の足かせとなるのが、「累進課税制度」「相続税」といった金持ち冷遇税制なわけです。
小泉改革のスローガンは「官から民へ」でしたが、まさに富も「官から民へ」を実現しなければなりません。
そのためにも金持ち優遇税制を実施し、日本に金持ちを増やすようにしなければなりません。
そうすれば、仮に憲法改正などで再軍備を実施しても先の大戦のような過ちをすることはないでしょう。なぜならば「金持ちけんかせず」です。
また、当時の日本は欧米列強と比べれば「持たざる国」であったため、乾坤一擲、一か八かの「自衛戦争」を12月8日に開始しなければならなかったのではないのでしょうか?

官に富が集中するとろくなことをやりません。
戦前は集中した富を戦費として浪費し、戦後は各省庁での無駄遣いや天下り、特殊法人へと流れているわけです。

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posted by @隼人正 at 19:54| Comment(6) | TrackBack(7) | 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

無条件降伏

日本は先の大戦で無条件降伏したから、今日の民主主義国家ができた。というのが歴史認識の定番になっています。
ここで論点となるのが
@日本は無条件降伏したのか
Aアメリカが占領したから民主主義国家になったのか(アメリカ軍開放軍説)
この2点だと思います。
@についてですがポツダム宣言を見ると最後に「われらは、日本国政府が直ちに全日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、かつこの行動における同政府の誠意について適当かつ充分な保障を提供することを同政府に対し要求する。これ以外の日本国の選択には、迅速かつ完全な壊滅があるだけである。」とあります。
この解釈が見解の分かれるところなのですね。この一文が入っている「ポツダム宣言」を受諾したのだから「無条件降伏」したという解釈。

この一文には日本国政府が無条件降伏したのではない全日本国軍隊が無条件降伏したのだという解釈

この一文の前に「われらの条件は、以下のとおりである。
われらは、右の条件より離脱することはない。右に代わる条件は存在しない。われらは、遅延を認めない。」という「条件」が明記されているから「有条件降伏」だという解釈

この中のどれを支持するかによって日本が無条件降伏したか否かが分かれるところですが、「無条件降伏」の解釈自体が間違っているのではないかということです。

「無条件降伏」という言葉は、まさに戦勝国に何をされてもかまいませんという響きがあります。日本は戦国時代があったので、戦国武将たちのさまざまな戦いとその結果を知っているため、このような解釈が広くされているのではないかと思います。そういった意味では日本は決して「無条件降伏」をしていません。ポツダム宣言では「無条件降伏」の「条件」をきっちり明示してあります。
では、軍隊が無条件降伏したのであり日本国政府は無条件降伏をしていないという解釈も無理があります。軍隊は政府の一部ですから日本政府および日本国が「無条件降伏」したことには変わりありません。

ポツダム宣言の無条件降伏とは宣言の全文にも明記してありますが「ポツダム宣言の条件を無条件で受諾しないと痛い目に合いますよ!」という意味ですよね。このことを我々は理解しなければなりません。相手の言っていることを無条件で受け入れた面はあることは確かですが、相手の言っている条件が許容しえる条件だからこそ日本はポツダム宣言を受諾し、降伏したわけです。ここはしっかり抑えたいところです。だから無条件降伏した日本は戦勝国に何もいえないことはないのです。

次に占領軍が来たから民主化されたのかどうかという点ですが、これまたポツダム宣言に「日本国政府は、日本国国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去しなければならない。言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は、確立されなければならない。」とあります。つまり、戦時中はともかく戦前は(大正デモクラシーという言葉があるとおり)民主主義があったわけです。(アメリカもイギリスも蒋介石も認識していた。)
戦後日本の出発点はアメリカに教えられたものではなく、元々あった民主主義をポツダム宣言を受諾することによって自らの意思で復活させることを決意したということではないのでしょうか?
このことは非常に重要です。

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posted by @隼人正 at 10:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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